スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

▲PAGE TOP

くろしお3号(11/26)

 本日は和歌山に日帰り出張です。北陸方面で鹿が電車と衝突した影響で南海電車で行く予定を新大阪で乗り換えてJR特急くろしお3号に変更しました。特急くろしお号は京都と和歌山白浜方面を結ぶ人気特急です。座席の背もたれにはパンダ人形が目立っています。JRと南紀白浜アドベンチャーワールドと連携しているのでしょう。
 月曜日ですから子供たちの姿は見られません。スーツ姿のビジネスマンと朝から缶ビールの中高年カップルが対称的です。私の乗った車両は古いタイプでしたが、すれ違ったくろしお号は最新型タイプに見えました。これもまた対称的です。
 京都~新大阪~天王寺~和歌山というルートですが、大阪駅は通らずに福島駅(関西将棋会館近く)の辺りの貨物線のような線路を通過します。そしていつのまにか大阪環状線に入りました。京都と新大阪間は通常の琵琶湖線の線路を通っているのかどうか、興味があります。私は「鉄っちゃん」ではありませんのでどなたか本物の「鉄っちゃん」に聞いてみようと思います。

▲PAGE TOP

関西の奥座敷有馬温泉

 転勤直後の週末。関西の奥座敷、有馬の湯に行ってきました。「道後温泉(愛媛)」、「白浜温泉(和歌山)」と並んで日本三古泉の一つとも言われており、日本最古の温泉と称されています。
 太閤の湯殿館は以前も入館したのですが、再び訪れました。有馬温泉の歴史が勉強になりました。秀吉は10回も有馬で静養しました。かつて交通機関がなかった戦国時代に大阪城と有馬を行き来するだけで疲れてしまいます。実は私も10回ぐらいは有馬で癒されていますが、なんと贅沢なことでしょう。
 前回には飾ってなかった「マーライオン」ならぬ「アリマーライオン」の像には笑いました。またアジア系の外国人観光客が多いように感じました。有馬は木工玩具も有名なので土産物屋さんも覗いてみました。将棋の駒はありませんでした。汗だくでしたので「銀の湯」に入浴してソバを食べてから帰ることにしました。
                              

▲PAGE TOP

小田急ロマンスカーのCMに注目

小田急ロマンスカーのテレビCMを注目下さい。「きょうロマンスカーで」(夏の箱根へ)親子三世代が小田急ロマンスカーで箱根へ温泉旅行をするというCMです。家族が旅館でくつろぐ左画面にさりげなく将棋盤が映っています。たまたま置いてあったとか、しまい忘れたではないはずです。きっと小田急電鉄の広報担当者もしくは経営者に将棋ファンがいるはずです。そこで小田急電鉄の広報担当に問い合わせしてみました。
 そして「特に将棋を意識したものではありません。また将棋ファンからの推薦ではなく、お祖父さんとお父さんが旅館でゆっくりと将棋を指すという雰囲気のために置きました」と回答をもらいました。「この次はお孫さんに将棋を教えている場面まで収録願います」とお願いしておきました。
なおこのCMは小田急電鉄のホームページでも見ることができます。親子三世代旅館に泊まって「将棋を孫に伝える」……いいですね。ぜひ小田急ロマンスカーで。

▲PAGE TOP

元旦の風景

1.近江神宮に初詣
 初日の出とともに朝7時「一年の計」をコーヒーを飲みながら考えよう~と、近くの「コメダ」に出かけたましたら、元旦は朝9時から営業でした。昨日の朝も「明日もやってんの?」と確認したやんか~!なんで「明日は9時からです」って言ってくれへんかったんや!そこで、殊勝にも予定を「初詣」に変更して近江神宮で参拝してきました。
 「世界平和」と「将棋を孫に伝える会の発展」を祈願してきました。近江神宮は「全国歌かるた会」やら「時計博物館」で有名です。この時期は、毎年近隣周辺が大渋滞して車では近づかないようにしています。
 さてさて8時から営業している「ガスト」で世界平和のために「将棋を孫に伝える会」をいかにして成功させるかの戦略を考えようと思います。そんなわけで、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

2.日の丸国旗
 近江神宮からの帰り道です。玄関に日の丸の国旗を飾る家を発見して、懐かしさを覚えました。昭和30年代は全国的に珍しくない光景でした。祝日に国旗というのは、常識だったような気がします。我が家も祝日の習慣として、朝から夕方まで国旗を玄関先に出していたと記憶しています。
 昭和40年代の後半辺りから、急激に減少したのではないでしょうか。この激減したことは、思想的な背景とはあまり関係がなく、単に風習の変化のように思います。今思うと、国旗は国家が配給したわけではなく、各家庭が自費で購入所有していたはずです。戦前の風習が残っていたわけです。この風習も絶滅の危機にあります。アメリカでは、祝日でなくても星条旗を飾っていると聞きましたが今はいかがでしょうか。

3.おせち料理と福袋
 お節料理と言えば、ある程度保存の効く「正月くらいは主婦もゆっくりしたい」という期待に応えたものでした。そして、百貨店もスーパーも三が日を休みにして、「1月4日から営業」というのが普通だったと記憶しています。いつの間にか「元旦から営業」が、当たり前になってしまいました。これも経済最優先の時代の流れでしょうか。
 「福袋」に殺到する人々が、繰り返し放送されるのも恒例です。いくら値段の割にお得な品物が入っているとしとも、「欲しいものかどうかわからないものを購入する神経がわからない」というのが私の持論でした。
 しかし、最近では渋谷方式と言われているようですが、お客様同士で「サイズ」や、「好み」をお互いに確認して交換する市場が成立しているらしい。コミュニケーションが、希薄となっている時代として考えれば、なかなかいいことかもしれません。

4.寝正月
 猛烈サラリーマンも日頃忙しい主婦も、休日は遅くまで寝ていたい。ましてや正月は「寝正月」と決め込んでいる人も多いのかもしれません。私は休日でも正月でも「早起き」と決まっています。(年を取ったからかな?)
 暗い時間から、家の中でゴソゴソしていますと「寝正月の家族」にご迷惑をおかけしますので、イソイソと早朝営業の喫茶店に出かけます。

▲PAGE TOP

山梨県赤石温泉旅行記

1.台風の15号の被害
 9月初旬に台風12号が紀伊半島に大きな爪痕を残しました。特に十津川温泉は甚大な被害でした。再び大型台風15号により山梨県のJR身延線が大きな被害で数日運休となっていました。その影響で、JR身延駅前の立派な参道が閑古鳥です。また日蓮宗の総本山名刹身延山久遠寺も、三連休のお彼岸にもかかわらず閑散としていました。

2.山梨県の温泉
 山梨県にも秘湯と言われる温泉は数々あります。しかし、関東近辺では群馬や栃木の温泉と比較して知名度や評判において一歩譲るところです。富士山、富士五湖などまさに日本を代表する風光明媚な観光地ではありますが、温泉ファンには今一、インパクトに欠けるのかもしれません。

3.秘湯にも台風15号の影響
 そんな中、赤石温泉に家内と二人で2泊3日の予約を入れました。紅葉の季節には朱色の大きな番傘が自然とマッチして雰囲気のある露天風呂が売りです。ところが台風15号の被害で、旅館までの山道が土砂で塞がってしまったと旅館から連絡がありました。さすが秘湯です。山道の開通を待って一泊に短縮して行ってきました。

4.秘湯赤石温泉
 赤石温泉の泉質は、酸化鉄―硫酸塩泉。茶褐色の濁り湯です。茶褐色と言えば関西では有馬温泉、滋賀県の須賀谷温泉、奈良県の吉野温泉などがあります。東京近郊では絶滅したと思っていた混浴が残っているのも秘湯と言える所以かもしれません。
 都心から近いとは言うものの甲府ICからさらに約一時間です。標高800mは季節も1~2ケ月違うような感じがします。

5.女性優先?
 温泉ブームが女性に浸透したこともあって、混浴を基本としながらも女性専用タイムが設定されているなど、工夫もありました。しかし、細切れの時間設定は家内には不評でした。温泉は「時間を気にせず…」が基本です。また、一晩中入れるのが理想ですが、温泉は夜10時までというのは少々不満なところです。

6.妙連の滝
 パワースポット「妙連の滝」が、旅館から徒歩10分でした。川の急流、水量の多さは感動のパワースポットなのですが、道中の山道の急流な階段は、女性や小さい子供には恐怖を感じさせます。
 実は、高所恐怖症の私も足がすくんで前に進みませんでした。

7.美術品展示品調度品
 パンフレットでみる談話室など、なかなかいい雰囲気です。絵画や調度品などもそれぞれ謂れがあるのでしょう。また、木造建物も風情があります。一つ一つはいい感じですが、全体に調和を欠いた感じがしました。
 釣り堀や子供用のプールもあります。子供連れをターゲットにしているのか?秘湯ファンをターゲットにしているのか?

9.縁起のいい紅白の温泉プレゼント
 同宿のお客様。「息子夫婦が親孝行でこの温泉旅行をプレゼント」という話でした。2泊目は長野県の白骨温泉に向かうらしい。
 「赤」石温泉と「白」骨温泉の「紅白」のプレゼントとは縁起がいい。

10.将棋連盟の米長会長はこの近くのご出身のようです

▲PAGE TOP

湯田中温泉腰痛療養記

1.腰痛療養
 腰痛の療養と言い訳しながら北信州湯田中温泉に行って参りました。東京から長野まで新幹線で1時間半。さらに長野電鉄で北東に小一時間。終点が湯田中温泉です。長野電鉄の特急は小田急ロマンスカーの車両や成田エクスプレスの車両を再活用、懐かしさも郷愁を誘います。

2.まずは善光寺参り
 長野と言えば善光寺。そして善光寺と言えば「牛に引かれて善光寺参り」という説話があります。信仰の薄かったおばあさんが牛の化身に善光寺まで連れられて信心深くなったという話です。
 俗世間にどっぶり浸かって信仰心を失っている現代人は宿坊に泊まって精進料理、朝修行もいいかもしれない。

3.栄枯盛衰の温泉街
 湯田中温泉の近辺にはあちらこちらに温泉があります。まずは渋温泉。湯田中温泉から車で5~6分。もともと湯田中温泉の便利さには勝てず、宿の数でも賑わいも湯田中温泉が席巻していたらしい。
 ところが最近では渋温泉が湯田中温泉を完全に追い抜いたようです。湯田中温泉は歯が抜けたように廃業した旅館や飲食店が多く、渋温泉は密集した温泉宿に明りが灯っていない宿は見当たりません。
 渋温泉の温泉街全体のまとまりや団結が逆転の要因であるように思います。「温泉宿の一軒一軒が部屋」という精神が行き届いているようでした。
 次に角間温泉ですが、こちらは渋温泉よりもさらに不便です。林芙美子記念館がひっそりとありますが、温泉街という雰囲気は全くありません。商売気のない宿に外湯が3軒ほど。それだけに宿のお女将さんの人情が厚い。原田泰治の絵が飾ってあるのもいい。
 なお、日本秘湯を守る会の「角間温泉岩屋館」は上田市にあって眞田一族の隠し湯という触れ込みです。この角間温泉とは別です。角間温泉は温泉街として栄枯盛衰とは別次元で生き延びています。

4.渋温泉の金具屋
 渋温泉金具屋は昭和初期の建築物を今に伝えており、木造五階でレトロな雰囲気を漂わせています。
 スタジオジブリのアニメ「千と千尋の神隠し」の「油屋」のモデルとなったと玄関に書かれていました。山形県銀山温泉の「能登屋」にも同様の話があります。むむむっ!全国各地にありそうです。

5.地獄谷温泉
 最後に渋温泉の奥にある地獄谷温泉。知名度は全国区です。お猿さんが入浴しているので有名です。今はお猿さんが温泉に入っているのは全国各地でみられ、ここ地獄谷温泉の専売特許ではないようです。
 猿の入浴から「100匹目の猿」の話を思い出します。この話は芋を洗って食べる猿がある一定数を超えると時間的空間的な隔たりを超えて伝播するというものです。「温泉は気持ちいいよ!」って誰も猿に教えていないし、長野の猿は東北の猿に教えていない。それなのに東北の猿も温泉に入るようになるという話です。興味深い話ですが賛否両論があるらしい。

6.外湯について
 小粒な外湯が特徴です。湯田中温泉に10以上。渋温泉には9つ。角間温泉には3つの外湯がありました。これまでの外湯のイメージは「安くて観光客も自由に入れる」「地元の人も普段から利用する」でしたが、こちらは自由度が少々低いです。
 宿泊した旅館で鍵を借りて近くの外湯に入浴します。たくさんの外湯には入れないシステムです。つまり外湯はそれぞれその地域の住民や施設の共同管理となっていて観光客にオープンになっていません。温泉マニアにはそこがまた魅力かもしれません。

7.桃山風呂
 宿泊したのは湯田中温泉では高級ホテル<よろづや>の対面に位置する<湯楽庵>。<よろづや>は創業200年の歴史を誇ります。豪壮かつレトロな建物の桃山風呂がセールスポイントです。湯楽庵のお客様はこの桃山風呂に自由に入れるのがうれしい。

8.眞田家ゆかりの地「松代」
 最終日に眞田家ゆかりの地「松代」に行きました。正確には長野市松代町です。あの川中島も長野市内です。大阪夏の陣で最後まで徳川家と戦かった眞田幸村が有名です。
 松代城は1622年に眞田幸村の兄眞田信之が沼田城から移封されその後幕末まで250年間、眞田家が徳川家の信任を受けていました。関ケ原の天下分け目の決戦では眞田昌幸、幸村父子は豊臣方にそして兄の信之は徳川方に着きます。どちらが勝っても眞田家の血筋を絶やさないようにという壮絶な決断でした。
 関ケ原の天下分け目の戦い。秀忠軍は上田城攻略に手間取り、肝心要の関ケ原に遅刻してしまいます。
 まさか関ケ原が一日で決着するとは!戦いが終わって「何しとったんや?」と家康に厳しく叱られる秀忠さん。同道していた参謀本多正信が命をかけて許しを乞う。
 この上田城にろう城して秀忠軍を翻弄したのが眞田昌幸、幸村父子です。江戸幕府は後々、敵将眞田幸村を称えることはあっても悪く言うことがありませんでした。さすが戦国武将人気ナンバーワンです。
 往事を偲ばせる松代城址、映画の撮影に頻繁に利用される松代藩文武学校、居並ぶ武家屋敷、今回は眞田宝物館が休館で次回の楽しみとなりました。
<余談その1>
NP0法人「将棋を世界に広める会」理事長の眞田尚裕氏は眞田家の末裔です。
<余談その2>
全国詰将棋大会2012年開催地は長野県に決定しています。今回の旅行は来年の格好の下見旅行となりました。

9.趣味の合わないHさんとの二人旅
 秘湯の旅は通常一人旅なのですが今回はHさんとの二人旅でした。クワガタとかカブト虫が趣味のHさん。秘湯と詰将棋が命の私。Hさんの温泉の入り方は30秒です。その代わり朝は3時に起きてムシ取りに出かけます。
 しきりに私を誘って下さるのですが、寝ぼけて詰将棋を考えていた方がいい。まさに「蓼食う虫も好き好き」趣味の合わない二人の珍道中でした。

▲PAGE TOP

腰痛奮闘記

1.腰痛のレベル
 名古屋時代、秋田時代の腰痛は強烈でした。震度6レベル。今回は震度5強レべルでしょうか?もともとの原因は何か?いろいろあります。姿勢が悪いとか、運動不足とか、筋力不足など。
 今回は睡眠不足が極めて大きな比重を占めていると思います。姿勢が悪いために背骨やその周りの筋肉に歪みが生じたとしても十分な睡眠時間が取れていれば矯正されると思います。今回は1~2週間前から腰痛再発の前兆を感じていたのですが、平日は連日密度の濃い事務作業。さらに土日は8月号の発送準備で疲れと睡眠不足が重なりました。

2.毎月発行について
 毎月の編集作業そして100通近い発送の苦労話はいろいろとあります。転勤前後が一番大変です。苦労と言ってしまってはいけませんね。『じゃあやめたら?』って言われますから。好きでやっていることですから苦労など微塵もありません。『仕事に差し障るほどの趣味は問題。ほどほどに』というのは正しいです。
 ただし、『仕事以外にそれほどまでに打ち込むことがある』ことは凄いことと思います。

3.運のいい悪い
 懸賞問題の当選者の決定は厳選に私情を全く挟まないで抽選しています。その結果、何度も繰り返し当選する人と昔からの解答者でちっとも当選しない人があります。運のいい人もあれば、不運の人もありますね。最近はこうした抽選に外れた場合に「こんなことで運を使ってしまわなくて良かった」と思うのがいいらしい。
 ん!マズイ!最近またまた「将棋世界」の次の一手で当選してしまいました。

4.通勤途上はつらくても座れない
 通勤途上の満員電車はつらいです。座ってしまうと立ち上がる時に立ち上がれずに乗り越しのリスクもありますのでなるべく座らずにいます。そんな折、私の前の席が空きました。次の瞬間、隣りにいた若者が一瞬にして座りました。なんともやりきれない思いを感じました。普通は席が空いた時には自分が座っていいものか判断する時間が一瞬あってもいいはずです。ましてや自分よりも年配者がいたら遠慮があるはずです。腰痛で杖を持ち歩くことも考えましたが、席を譲られたりすると困惑してしまうのでやめていた私です。他人の状況を慮ることのできない若者たちの心が寂しい!

5.整形外科受診
 今まで腰痛は京都の行き付けの整体でした。整形外科も行きましたし、カイロプラクティック、針灸、電気…。いろいろやりましたが整体以外は効果は上がりませんでした。起き上がるのも大変なほどの重傷の時にも回復できたのはその整体のお陰でした。今回、会社の近くのリハビリ施設の充実したクリニックに行きました。けん引してもらって治そうという作戦だったのです。初日診断の後にけん引してもらいました。
 翌日<けん引のみ>してもらうつもりで行きましたら、私の立ち居振る舞いがあまりにも悲惨な状況でしたので看護師さんが気を回して診察室に連行しました。
 先生の診断は「今はけん引しないで安静にしていた方がいいでしょう」ということになって痛み止めと筋肉を柔らかくする薬と胃薬を処方してもらいました。

6.けん引して欲しかった
 何のために忙しい仕事の最中に整形外科にきたのか!「けん引してもらうためにきたんじゃ~!」と憤慨しつつ、処方された薬を購入すべきかどうかを考えました。風邪をひいても薬を飲まずに治す主義です。頭痛薬を飲むのは警報装置を取り外すに等しいと思っています。本来人間に備わっている自然治癒力に任せてきた私です。
 ん?痛み止め?胃薬?飲むわけがありません。専門的なことは素人の私にはわかりません。また病院とは相性の合う合わないもあると思います。
 一時的に腰痛を治すことに意味はないことはわかっています。この病院は全く私を理解していません。

7.切り札の治療手段も消える
 さて整形外科に見切りを付けました。そこで切り札の京都の整体が頼りです。大津に帰って…と段取りを考えながら京都の整体に電話をしました。すると「ツーツーツー、おかけになった電話番号は現在使われておりません~」なんと店を閉めてしまったようです。絶望の谷底です。どうしたら治すことができるのか……。

8.睡眠不足との関係
 腰痛は睡眠との関係が深いように感じています。深い睡眠が取れた朝は腰痛が明らかに改善していました。腰の調子がいいからよく眠れたというのではなく、よく眠ったから腰がよくなったのだと実感しています。
 もともと人間には自然治癒力が備わっていると考えますが、眠っている時間は自然治癒力を呼び戻す一番の時間なのではないでしょうか!
 私の腰の痛みは背骨の歪みが影響していると思いますが、睡眠時間は歪みを矯正する時間なのです。起きている時間は悪い姿勢で歪みを増幅する時間です。つまり睡眠不足が歪みを招くというわけです。

9.快方に向かう
 整形外科では<けん引>してもらえず、仕事中にしばしば激痛に耐え、治療方法も定まらない。睡眠を十分にとることだけが治療の頼りで1週間を過しました。するとやっとのことで快方に向かっている兆しが見えてきました。「自然治癒力が自分には、まだある!」というのは生きていく大きな自信になります。また「体を動かすことができる」という当たり前のことに感謝の気持ちが湧いてきてそれだけで幸せを感じます。

10.腰痛は人生そのものだよ
 会社の大先輩Kさんは腰痛でご苦労をされてきました。そのKさんから「腰痛は人生そのものだよ!」とわけのわからない励ましを頂きました。生活習慣病であることを認識して、生活習慣を改善しなくては必ず同じことを繰り返すことになります。
 日頃から姿勢を正して、運動不足や睡眠不足にならないように気をつけて足腰の筋肉を鍛えておこうと決意も新たです。そういえば前回の腰痛騒動の時も決意を新たにしたのでした。私の決意は当てになりません。こんなに痛い目にあっても忘れてしまうのです。
 なぜ「腰痛は人生そのもの」なのか!を考えて見ました。「本気で治すことに専念しても決着しない」ではないかと思います。なかなか思うようにならないのが人生であり、腰痛でしょうか。
 腰痛の話ですから風流でもなければ旅でもありません。しかし、「腰痛対策」を大儀名分にして温泉にこっそりと出かけるのは風流と思います。

▲PAGE TOP

東京新生活

1.再び単身生活
 この4月に転勤で東京に引っ越しました。定年間近の老体には単身赴任はつらかろう?と暖かい言葉をかけて下さる方も多かったのですが、気楽な単身生活もまた味わい深いものです。
 サラリーマン生活34年目、単身生活は13年目で名古屋、秋田に続いて3回目になります。テレビのない生活。家内の機関銃のようなお小言に神経をすり減らすこともなく、自由気ままな時間を楽しむことにします。

2.賄い付きの単身寮
 今回は賄い付きの独身寮です。単身赴任のオジサン達が約150名もいます。単身生活と言えば外食が中心で栄養の偏りから体調を崩すという話は頻繁に耳にします。昔、カツ丼好きのある方が毎日カツ丼ばかり食べていて入院することになったという話がありました。その点、この寮の食事は野菜や果物が豊富で大変恵まれています。
 食事は事前に○印をつける方式です。自分の都合で○×をつけます。朝だけ食べる人もいれば夜だけ食べる人もいます。夜、寮で食事しない人はおそらく酒飲みの外食派でしょう。朝、食べない人は通勤ラッシュを避けて早めに職場の近くまで行ってパンにコーヒーというパターンかもしれません。私は玄米ご飯の自炊と外食も織り交ぜて健康生活を楽しむつもりです。
 大きな大浴場があるのも気に入っています。お湯を入れたりとか風呂場の掃除もしなくてもいいんです。幸せなことです。

3.通勤事情
 最寄駅は小田急線千歳船橋駅です。会社まで小田急と地下鉄を乗り継いで1時間弱です。節電の影響で間引き運転をしていますが、混雑は思っていたより少なめです。乗せてもらえなくて積み残しにされることはまずありません。霞ヶ関~大手町など官庁街やビジネス街では降りる人が多くて乗ってくる人が少ないために一瞬ガラガラになることもあります。
 小田急線では複々線化や踏切廃止などの大規模工事の真っ最中です。電車を止めないで工事をする段取りにも感心します。おそらく工事が完成するのは私が東京を離れた後のことになるでしょう。
 地下鉄のプラットホームや電車内が節電で暗くなっています。エスカレーターはラッシュ時には動いていますが、昼間はストップです。老齢者や重い荷物の方には負担です。私は健康のために常に階段ですからあまり影響はありません。
 首都圏の電車は長いです。プラットホームも長い。前のほうに乗るか後ろに乗るか、乗り換えが便利なのはどの位置か?慣れない人は苦労します。プラットホームを歩いている内に次の電車が到着というのもよくある話です。

4.私鉄沿線(その1)
 野口五郎さんの「私鉄沿線」というヒット曲がありました。小田急沿線の各駅の商店街は一言で言いますと「上品」です。車よりも人を大切にしています。駅周辺にてウロウロしている車は極めて少なく通勤のためのバスも駅から少し離れた所で乗降します。
 そして商店街が広範囲で活気があります。シャッター街という雰囲気は全くありません。大手スーパーや全国チェイン店の店はほとんど見当たりません。これまで紆余曲折があったかのもしれませんが、地域住民と商店街がうまくマッチして繁栄を続けてきたように感じられます。しかし、総じて物価が高いように感じます。世田谷区だからなのか?震災の物資不足によるものなのか?

5.私鉄沿線(その2)
 駅前スーパーも商店街も値段が高目なのですが、さらに高級なスーパーがあります。そもそも置いてある品物が少々違うようです。そしてお客さまも少々上品なのですね。上流階級の世界に迷い込んでしまったような錯覚を覚えました。
 人の多さはやはり東京と感心しています。特に若い人が多い。地方都市には若い人が少なく老齢化するということは都会に若い人が集中するから……と納得です。
 オシャレなオープンカフェとか自家製のパン屋さんが多い。そして商店街にはアーケードがありません。他の都市によく見られるアーケードは雨対策としてはいいのでしょうが晴れた日の雰囲気としてはマイナスなのかもしれません。

6.私鉄沿線(その3)
 世田谷区には区立図書館が16館もあります。これにはビックリしました。早速貸し出しカードを作りました。今は仕事に慣れていないこともあってゆっくりと本を読むのはしばらく後になってからになりそうです。
 通常の価格帯を地域や業界が維持したとしてもそこに乱入する<格安店>が価格破壊を起こします。しかし、世田谷の私鉄沿線には<格安店>が余り見られないのが特徴です。さすが上品な町ですね。(どこかの町と比較しているわけではありませんが……)

7.パソコン騒動
 パソコンの接続や機械操作が苦手な私としては引越しは気が重い。今回も2週間ほどメールやインターネットができずにネットカフェを利用しました。
 そして引っ越し直後には何ともなかったのですが、しばらくしてディスプレイが真っ暗になってしまいました。またスピーカーから音も出なくなりました。当初、素人の私にはどこが故障したのか判断できませんでした。やむを得ずパソコン出張修理の方に原因追究を依頼しました。結果は<ディスプレイの故障>と判明。<修理するより買った方が安いよ>と言われて買い直しとなりました。秋葉原のヨドバシカメラに行きました。そこでまたもう一波乱あったのですが恥ずかしいので省略。
 地震対策として防災用の両面粘着テープでパソコンはしっかりと固定しました。

8.御茶ノ水界隈
 勤務は御茶の水ですが、大学生や予備校生が多い。また若いビジネスマンやOLも闊歩しています。大阪の淀屋橋もビジネス街として人が多く活気を感じましたが若さでは学生さんの多い御茶ノ水に軍配です。昭和40年代から50年代に流行したクラシック喫茶と言われる店は姿を消しています。悠長に長時間音楽を聞かせるような時勢ではなくお客の回転が勝負になってしまったのでしょう。

9.腰痛再発
 寝返りが打てないほどの腰痛を過去に何度も経験しました。今回は柔らかいベッドが良くなかったようです。幸いなことに起き上がれなくなる状態までは悪化せずに事なきを得ました。生活環境が変わることで悪い習慣から脱することもありますが、良い習慣をやめてしまうこともあります。ストレッチ体操がおろそかになっていました。

10.桜の季節
 東京にも桜の季節がやってきました。おりしも大震災でお花見は自粛が基本のようです。4月8日名人戦第一局は文京区の椿山荘で行われました。大盤解説会の帰り道。お花見の名所の神田川沿では真っ暗の桜の下で細々とお酒を楽しむ人達がいました。
 早々と花火大会の中止も発表されています。世論調査では<自粛は考え物>という意見が大半です。被災地では感動的な心のこもった卒業式を開催!都内や関西の卒業式が自粛とはこれ如何?

▲PAGE TOP

天童旅行記(竜王戦観戦なしツアー)

1.竜王戦羽生さん残念無念
 今期の竜王戦で羽生さんは2勝4敗で渡辺竜王に敗れ、天童で行われる予定であった第七局は幻となってしまいました。その結果、前人未踏の永世七冠王獲得は翌年以降の楽しみとなりました。
 今年の9月、羽生さんが挑戦者に決定して第七局が天童市で行われることが発表になった翌日、すぐに天童市のビジネスホテルに予約を入れました。このホテルでは第七局のテレビ放送に備えて放送局スタッフの予約が20名3日間合計60室分がキャンセルになってしまったとご主人がぼやいておられました。律儀な私は竜王戦がなくなったにもかかわらず遠路山形県天童まで<温泉療養>のためにという名目で出かけたのでありました。

2.虹の見送りと虹の出迎え
 関西から山形は通常ですと飛行機なのでしょうが、飛行機嫌いの私は新幹線を乗り継いで6時間の長旅です。寒波襲来を目前にして西日本は気象状況が不安定になっていたようです。出発の朝、びわ湖にかかる大きな虹が見えました。そして静岡県から見える富士山はいつもながら雪景色。東北新幹線の埼玉県からもくっきりと見えました。山形新幹線に入ると米沢から再び虹が出迎えてくれました。いよいよ天童が近い。
 「霧晴れてびわ湖に刺さる冬の虹」

3.3度目の天童市
 実は天童市は3度目です。秋田に単身赴任の時に二度行きました。秋田から天童は在来線(奥羽本線)の乗り継ぎで約3時間半です。隣の県であっても直通の電車がありません。新幹線もなければ在来線の特急もないのです。旅の道中を楽しむ私にはどうってこともありませんが。
 最初の訪問は対局とは関係なく天童市内の観光でした。天童駅の駅舎にはいきなり将棋資料館があり、メインストリートの電柱には詰将棋が連なり、公園にはプロ棋士出題の詰将棋モニュメントが15題も展示されていました。そして町の飲食店の名前やら天童温泉のホテルの名前には将棋に関係する名称があちこちです。
 そんな楽しい町という印象が強かったので2年前の竜王戦が天童対局となった時、再び足を運ぶことになりました。羽生さんの3連勝4連敗という大逆転で永世七冠達成ならなかったあの有名な竜王戦第七局の観戦でした。

4.将棋資料館
 翌日、盤面初形象形詰で有名な河内勲さんと詰将棋保存会の荒川貴道さんと合流しました。将棋資料館の資料について天童市郷土研究会の斎藤隆一さんに案内してもらいました。展示資料は地元の収集家の協力とともに天童市を挙げて立派な資料館を作るという熱意が貴重な古文書にも表れているように感じました。
 将棋に関係した資料館や記念館はこの5月に訪問した野田市の関根名人記念館、青森県おいらせ町と倉敷市にある大山名人の記念館などが有名です。
 地方都市が町興しとしていろいろと工夫をしている例は様々ありますが、将棋記念館という選択はよろしいかと思います。その先駆者が天童市かもしれません。
 米沢市は2年前の直江兼続ブームで沸きあがりましたが、今年はさっぱりという状況のようです。ゲゲゲの女房で盛り上がった鳥取の境港市も反動がこわい。その点将棋記念館はブームに左右されにくい面があると思います。

5.将棋交流室
 将棋交流室は無料で対局ができます。広い恵まれたスペースが自慢です。将棋連盟天童支部の支部長村岡良雄さんや山形県の支部連合会の会長の山口雅則さんとお話させてもらいました。天童市の将棋ファンの皆さんはこの交流室でしっかりと腕を磨いておられるようです。天童市のバックアップも力が入っています。将棋の普及に対する情熱が伝わって来ます。将棋好きの少年が県外から憧れの天童にやってきて付き添いの母親からお礼状が届いたエピソードなど子供たちへの指導にも熱が入っているようです。
 さてさて我々は詰将棋3人組。支部長さんに初対面なのに「山形新聞には詰将棋掲載がない」とか「電柱や公園の棋士出題の詰将棋が長年にわたり同じ問題なのを何とか時々新題に入れ替えては?問題数を増やしては?」などとと我がままを言い出す始末でした。詰将棋を愛し、将棋の普及を応援する同じ立場という土壌があるとは言え図々しかったかと反省をしております。
 街中には将棋グッズ専門店があります。将棋駒を彫る実演を見せてくれる店もあってワクワクします。その職人の技を子供達に教えていくという動きもあるようです。

6.山形県の人口
 この日の地元の新聞記事では山形県の人口が減少し、120万人を割り込んだと伝えていました。山形市を含めて県内の主な都市が減少しているとか。その中で天童は何とか増加しています。<将棋><さくらんぼ><天童温泉>などがうまくアピールできている成果なのかと思いました。
 いずれにしても日本全体が人口減少して少子高齢化が加速度的に進んでいます。特に地方都市が大きな変化に飲み込まれようとしていることは看過できないと感じました。

7.雪の舞鶴山
 駅から歩いて30分ほど。春の桜の季節には毎年人間将棋が行われる舞鶴山に登りました。あいにく雪が降り始め、その道のりは遠く感じました。(タクシーだったか…悪手だったなあ…)
 さらに追い討ちをかけるように登ってみれば人間将棋の会場は工事中でした。遠くから眺めるだけ。将棋供養塔にも近づけずでした。王手を一度もかけずに投了を余儀なくされてしまいました。この次は桜が満開の人間将棋の時期に来たいものです。

8.雪の山寺
 寒波来襲して雪がどっさりと積もりました。雪深い山寺の千階段を登りました。五大堂からの眺めはまさに水墨画でした。観光客はほとんどいません。階段の上の方に郵便ポストがありました。お聞きしますと毎日郵便局の方が上って集配しておられるということでした。ご苦労様です。山寺は童謡の『山寺の和尚さんは~♪』とは違うらしいです。また天童では若松観音若松寺も名刹として名高いのですが、『めでためでたぁのぉ~若松さぁまぁよ~♪』はこのお寺のことでした。
 東北には芭蕉ゆかりの地が数多くありますがこの山寺に立ち寄り「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだと言われています。芭蕉の句碑が残っています。 

9.締めくくりは秘湯で
 山形県の一番福島寄りの五色温泉宗川旅館にて締めくくりました。ここは「日本秘湯を守る会の宿」です。JR奥羽本線の本数は驚くほど少ない。そして雪深い状況では宿のお迎えがなければ到底たどり着けないという意味でも秘湯でしょう。
 かつて大正時代、皇室専用のスキー宿「六華倶楽部」が同旅館の敷地内にあった由緒のある秘湯でした。
「雪しんしん閉じ込めてくれ五色宿」

▲PAGE TOP

入院騒動記

つい前日まで全く元気でした。突然に下血して大津市民病院に検査入院しました。以下はその顛末です。
①検査の日を予約するつもりが
 診療時間が終わっていたので救急窓口に行きました。次回の検査の日程を予約するつもりでした。ところがすぐにCTや血液検査をして頂きました。結果として出血が続いていること、大腸を空にして検査する必要があるために即刻絶食入院を申し付けられてしまいました。
 私 「一度帰宅して、明日から入院では駄目ですか?」
 医者「命にかかわりますよ!」
 お酒を全くやめてすでに4ケ月。こういう事態となるとはショックでした。

②絶食3日間
 絶食が続いていても点滴を受けていますのでさほど「空腹に耐えられない」って感じではありません。『武士道』を読みながら切腹を申し付けられたりしないことを祈っています。眠れないベッドで夢と現実が交錯しています。何だか痴漢容疑で逮捕されてしまった犯罪者の心境になりました。検察不祥事が頭の中を駆け巡り、自分が冤罪で収鑑された被告人とダブリます。「ワシは無罪じゃあ~」

③入院生活
 パジャマ姿で点滴スタンドを引き連れて病院内をウロウロしていると気持ちを強く持っているつもりでも病人らしさが板についてきました。点滴が邪魔でストレッチができないのも腰が曲がって年寄り臭なります。髭も伸びてきました。入院患者の皆さんご高齢で私が一番若手みたいです。自由に本が読めて詰将棋も解いたりもいいけれど。
 救急病棟から一般病棟7Fに変わりました。休憩室からは琵琶湖の眺めが楽しめます。湖畔にマンションやらホテルがそびえ立ち湖面が見える面積は減少したものと伺えます。今日はあいにくの雨。晴れたら一句のつもりです。

④死について
 こういう事態になりますとやはり自分の死について考えてしまいます。10年ほど前に強烈な目まいで意識もうろうとなって自分で救急車を呼んだことがありました。(自分で救急車を呼べるのに大袈裟な…と叱られました)その時は「まだ死にたくない」と強く思いました。当時は企業戦士としてやりたいことも我慢していましたから。
 今回、死を意識した時はもちろん「まだ死にたくない」でしたが、前よりも僅かに「まっいいか!」という気持ちでした。この1~2年思うままに生きてきましたから。人生で大切なことは「死に際に後悔しないようにいかに生きるか」と思いました。

⑤検査そして治療
 今日は検査です。「痛くなければいいんだけど……」不良患者として睨まれると痛くされたりするとマズイので<模範囚>でいなくてはと殊勝な気持ちで看護婦さんと応対するように心掛けてきました。
 検査結果は憩室炎でポリープも除去してもらいました。悪性なものはなく一安心。検査の間「人間はこんな思いをしてまで生きていかねばならないのか…」と思いつつ耐えていました。

⑥医学の進歩
 それにしても医学の進歩は凄い。検査だけではなく腹を切らずに治療までしてしまうのです。有り難いことです。軽々しく「つらかった」など口にできません。
 <入院期間が短くなっている>という話をよく聞きます。検査とか治療とか、
とにかく早い。また<病院は療養する場ではない>という考え方が定着しているのでしょう。

⑦入院は小学校5年以来
 入院は小学生以来でその後の40数年間、入院も手術の経験も全くありませんでした。小学校5年の1年間は腎臓が悪くて、運動ダメ、食事制限(タンパク質と塩分がダメ)でつらい体験でした。今回の絶食4日間は点滴のお陰で空腹感はほとんど感じませんでした。小学生当時、好きな野球ができなかったことが一番つらいことでした。当時、小学校の先生から「大病した人は他人の痛みがわかる人になる」と言われました。

⑧勉強になりました
 今回の入院で医者や看護婦の大変さを身近に感じたこと、健康の有り難みを感じたこと、生きて行くとはどういうことかを考えたことなどいろいろ勉強になりました。
 それと気持ちを前向きに保つことがいかに大切かと思いました。どんな事態になっても投げやりな気持ちとか絶望的な気持ちにならず、現実を受け止めてそこから何とかしようと言う前向きな心構えが大切と思いました。そしてそんな心構えで生きて行くことが健康の秘訣ではないかと思います。

⑨Sさん
 同部屋に71才のSさんがおられました。Sさんも治療がつらそうなこともあって私の退院当日までお互いほとんど口を聞きませんでした。
 Sさん「退院ですか?」
 私  「ええ、出所ですわ!」
 その後、私の退院間際までいろいろとお話を伺いました。さすがサラリーマンから別の業種で独立をされた苦労人と感じました。お互い励まし合って別れました。
 かつての病院の大部屋はほとんどオープンでしたが、今は個人のプライバシーを重んじて昼間から皆さんカーテンを閉じたままです。そんな中でSさんはカーテンを閉めずにいつも開けておられました。お心の広い方と思いました。

⑩病気と性格の関係
 憩室炎の原因について医者に聞きましたが明確な原因はないとか。強いて上げれば<便秘症>とか<欧米型食生活>らしい。
 ストレスとの関係ももちろんあるかと思います。メンタルヘルスも今回も私のきちっとした?性格が影響しているように思います。性格は変えられないが物の考え方は変えられます。ストレスを溜めないようなものの考え方が大切です。わかってはおるんですよ。

▲PAGE TOP


まとめ

Contents

  随 想
  詰々草
  風流旅日記

Admin

検索フォーム

アーカイブ

 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。