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「船場」「堂島」から学ぶ 孫世代につたえるべきこと

昭和40年代、大阪商人を舞台にした「船場」「堂島」などというテレビドラマがありました。小学生か中学生ぐらいの少年が大阪商人として育っていく姿を描いていました。この時決まって登場するのが、浪速千栄子だったり、中村鴈治郎だったり。(古い?年がバレますね!!)主人公を時にはイジメとも思われるような徹底的に鍛える役回りです。記憶は不確かですが、「船場」は繊維問屋、「堂島」は米相場の話でした。原作は滋賀県大津市出身の花登筐です。花登さんは亡くなられて久しいのですが、近江商人家に生まれました。この近江商人が執筆活動に大きく大きく影響しています。あの独特の間合いで客席を沸かした喜劇役者花木京の師匠に当たり、間寛平さんは孫弟子に当たります。
 ドラマに出てくる主人公を鍛えるおじいさんおばあさんと現代のおじいさんおばあさんとの違いは何が考えられるでしょうか?この違いが真に子供を育てるとはどういうことかのヒントのように思います。単に「可愛がる」とか「甘やかす」ではない大切なことがあります。時代背景もあります。放送は昭和40年代でしたが時代は大正か昭和初期かと思います。時代背景には二つの視点があります。一つはドラマの時代は戦争を前にした厳しい時代だったのに対して、現代は平和ボケの時代であること。もう一つはIT化など新しい機械化の流れに中高年がついていけないという問題。祖父母にとっては両親でさえ、子供の対応力に気後れを感じる時代になってしまっています。反抗期にはさらに断絶のリスクが高くなります。対策としては幼児期にしっかりと親子の信頼関係を築いておくことかと思います。
 テレビ放送は昭和40年代です。高度成長期に厳しい時代を回顧して気を引き締めるような警告の意味が作者にはあったかもしれません。孫に対して「生きる力をつけさせる」そして「店の繁栄を託す」という願いが込められていたのでしょう。大阪商人の素晴らしいのは「自分の息子には店を継がせない」。一番の番頭を娘の婿に迎えることを常としていたことでした。このようなシステムで店を守り続けてきました。番頭になるのは小学生の年齢から艱難辛苦に耐え、修行に次ぐ修行を重ねる日々を過ごします。今の労働者は一週間の勤務時間が40時間とか、ブラック企業云々と批判される時代ですが、この時代は労働条件などという言葉さえなく、朝から夜まで働き続けて休日は盆と暮れのみ。給料などなく食べるものと寝る場所が提供されるだけです。そんな時代ですから、子供の頃から奉公人の出稚と店のボンとは全く違う世界で育ちます。そこで生き抜いて番頭まで這い上がってきた人間ですから、それだけで「人材」です。このような背景で落語に出てくる「優秀な番頭」と「ドラ息子」です。ドラ息子は「どうせ俺には店を継がせてくれない」とふてくされて登場します。「番頭」と「嫡男」の後継ぎレースを冷静に見れば同着ならば嫡男の勝ちです。ところが、実際に落語に出てくるのは大差をつけられたドラ息子。「商人としての才覚」、「店を守り抜く意識」、「他の奉公人の人望」すべて負けて勝っているのは「遊び道楽」の世界だけです。
  さて話は「船場」「堂島」に出てくるおじいさんおばあさんに戻ります。なんとか後継ぎにかわいい孫をつかせたい。隠居の身ですから、決定権はありません。そこでおじいさんおばあさんは考えます。普通のジジババのように孫を甘やかすことなく、ドラ息子にならないように鍛えなければならないと。根性とか人情とか人として生きるとは何かを教えます。ドラマでは小さな子供がおじいさんに厳しくされてもくじけずに大きく育っていく姿を描いていました。まさに涙ものでした。
 「孫に伝えるべきこと」は時代の変遷があったとしても、変わらないものがあるはずです。それを孫世代(自分の孫とは限らず)に自信を持って伝えていかなければなりません。何か特別なことを伝えるというものではありません。日本人の心を伝え繋いでいくことが大切です。

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