スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

▲PAGE TOP

「体罰」について考える (その1)

 連日、学校の部活動における体罰が新聞テレビにて報道されています。運動部における体罰は今に始まったものではなく、戦前からの軍隊にて組織の強化を目的とした日本独自の文化で上層部は見て見ぬ振りを貫いていたと思います。その名残が今に続いています。
おそらく「武士道」には「体罰」という手法は存在しないでしょう。と考えますと「体罰」は明治期以降の「富国強兵」に連なる短期で成果を求める手法に思います。戦後も運動部に限らず、学校には体罰的なものが蔓延していました。そして一時期から父兄の突き上げの成果で体罰はなくなったような気がします。残っていたのはエリート運動部だけだったのではないでしょうか?実績のない運動部で体罰があれば生徒はやめてしまいますし、父兄も「アスリート目指してガンバレ」などと続けるように励ましたりしません。
 さて昔の話ですが、私は高校時代にラグビーをしていましたが、実績も伝統もある部活動でした。「体罰」はありませんでしたが、上級生やOBが、我々現役部員を練習の後に強制的に走らされることがありました。これは「シゴキ」であって「体罰」ではなかったのでしょうか。先輩やOBの皆さんは「強いチームであって欲しい」とか「伝統を伝えたい」という気持ちであったに違いないことは今思えばわかります。
しかし、当時の私にはそのような暖かい心を理解する余裕はなく、子供心に厳しい練習に耐えることで心身の成長があるのではないかと思っていました。練習後の「シゴキ」を拒否する選択はありません。仲間を裏切ることになり、部活動をやめることになります。この感覚は同期のメンバーには強い連帯意識を築き上げました。「シゴキ」の伝統とはこの連帯感を築くことだったかもしれません。ラグビー部員であることが自分にとって生きていく自信でしたし、部活動をやめてしまうという選択をしたら、将来は何に対しても逃げ回る選択をする人生を歩むことになると恐れました。多感な少年期の生きる選択肢を思い浮かばない時期に「体罰」も「シゴキ」も「イジメ」も大変な危険性を秘めていると思います。

▲PAGE TOP

«  | Home |  »


まとめ

Contents

  随 想
  詰々草
  風流旅日記

Admin

検索フォーム

アーカイブ

 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。