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陣屋事件とは何だったのか?

1.陣屋事件をご存知でしょうか?
 昭和27年2月創設されたばかりの王将戦で升田さんが木村名人との対局を拒否した事件です。
 この時すでに升田さんは4勝1敗で木村名人を破り王将獲得します。その内の負けた1局も木村名人の時間切れを升田さんが見逃しての温情があったと言われています。
 現在のタイトル戦は4-1で終了となります。しかし、この当時の王将戦は朝日新聞社の名人戦との差別化のために「差し込み七番勝負」を導入していました。
 通常の七番勝負は先にどちらか4勝すると終了しますが、差し込み七番勝負はタイトルの行方が決まってからもきっちりと七番戦います。しかも3ー0、4ー1というスコアになった場合は勝っている方が香を落として半香戦を戦います。
 この制度の導入に際して議論があったようです。「名人が半香に追い込まれては名人位の権威が問われる」と反対していたのは升田さんでした。一方、時の名人木村さんは「自分は追い込まれることはない」と賛成に回ったと言われています。
 ところが皮肉なことに升田さんに1ー4で追い込まれてしまったのは木村義雄名人でした。木村さんも読みが甘かった?!

2.陣屋旅館で何があったのか?
 そんな名人に香を落として指す歴史的な対局が昭和27年2月18日の王将戦第6局でした。升田さんは<名人位の権威>を思い逡巡していたと思われます。
 升田さんは当日、対局場の鶴巻温泉陣屋旅館に行きます。すでに木村名人一行は到着していて賑やかな談笑が聞こえてきます。玄関先で一人待たされる升田さん。次第に腹が立ってきます。そして別の旅館に引きこもって対局拒否しました。

3.名人戦を巡る朝日毎日の争奪戦
 この背景として一番言われているのは昭和24年に名人戦の主催が毎日新聞から朝日新聞に移ったことでした。名人戦を失った毎日は新棋戦の創設を検討します。王将戦の半香指し込み制度は朝日新聞の名人位を強く意識したものでした。
 朝日と毎日の名人戦主催を巡る抗争はそれこそ「歴史は繰り返す」でつい最近まで何度も続いています。常に将棋連盟との契約金を巡っての争奪です。
 現在は共同開催となっていますが、近い将来再び将棋連盟との契約金を巡ってゴタゴタするに違いありません。日本は歴史を学んでその教訓を生かして行かなければなりません。話がそれましたが、陣屋事件は単発に起こった事件ではなくその背景には様々な棋界を巡る問題が渦巻いていたと思われます。

4.陣屋事件の背景(その1…毎日新聞社の嘱託社員)
 陣屋事件の遠因は昭和23年の高野山の戦。さらに終戦直後に大山さんが大阪毎日新聞社の嘱託社員に指名されたことまで遡らなくてはなりません。
 大山さんが同社の嘱託社員になったのは終戦後すぐのことでした。この役職の話は木見門下の序列からすると一番の兄弟子だった大野源一九段なのでしょうが、すでに木見門下から独立して一家をなしていましたので圏外でした。すると残るは兄弟子の升田さんのはずです。しかし升田さんはまだ戦争で外地にいました。その隙をついたわけでもないのでしょうがどういうわけか大山さんがちゃっかりとその座に着いてしまいました。

5.陣屋事件の背景(その2…大山升田不仲説)
 後に復員した升田さんは口には出さなくても面白い話ではなかったと思われます。宿命のライバルであった升田大山は不仲であったのかどうか?お二人とも亡くなられて久しいですから、真実はわからないのですが、私の推測するところでは圧倒的に力の差があった内弟子時代は升田さんは大山さんにつらくあたったかもしれませんが、大山さんは升田さんを心から尊敬していて実の兄弟のような非常に良い関係であったと思います。
 この大阪毎日新聞の一件は二人の仲が微妙になりはじめたきっかけとなりました。
 また、昭和27年大山さんが名人となって先を越されましたが、升田さんは大山さんをライバルとは認めていなかったのではないかと思います。
 つまり「木村名人から奪い取らなければ本物の名人ではない」「大山君の持っている名人位はいつでも取れる」と。升田さんが大山さんに先を越されたのは健康問題とともに大山さんをどうしてもライバルと認めなかったことに落とし穴があったと思います。

6.陣屋事件の背景(その3…高野山の激闘)
 話は戻りますが、昭和23年2月名人挑戦者を決める高野山の戦い。三番勝負を両対局者が10日間の長期にわたり高野山に泊まり込んで対決しました。1勝1敗からの第三局。升田さんがトン死負けで挑戦者は大山さんになります。この勝負は将棋史上あまりにも有名です。
 当時の主催は毎日新聞でした。対局場の設定で升田さんは体調を理由に暖かい場所を希望していたにもかかわらず、寒さの残る高野山でした。大山さんに勝たせたい毎日新聞が対局場所を高野山に決めたのではないかという疑惑が持ち上がりました。
 対局通知も升田さんには直前まで届いていなかったという話もありました。そもそもその年A級一位は升田さんとすんなり名人挑戦者に決まりのはずがB級一位の大山さんを含めてプレーオフを行なうという制度変更が毎日新聞社主導で決定していました。
 この変更は少なくとも升田さんにとっては面白くなかったはずです。「毎日新聞社がよってたかって大山を応援している」と升田さんには思えたに違いありません。
 不満を抱えた対局場所でしかも一生の不覚とも言える大ポカをしてしまいました。当時升田さんは朝日新聞社の嘱託社員となっていました。丁度その翌年に名人戦の契約金を巡って毎日新聞ともめることになりました。升田さんは「朝日新聞社に鞍替えすべき」と強く発言したと言われています。そして翌昭和24年に名人戦の主催が毎日新聞から朝日新聞に移りました。このような経緯があっての陣屋事件です。

7.60年の歳月を経て
 広瀬王位に羽生さんが挑戦している王位戦は8月22日現在2-2で盛り上がってきました。第六局および第七局は鶴巻温泉は陣屋旅館で行われます。このタイトル戦は羽生さんがタイトル獲得数であの大山名人の80回に並ぶかが注目されています。
 また、9月に開始される王座戦では羽生さんの20連覇の大記録がかかっているのですが、挑戦者に強敵渡辺竜王が名乗り出ました。その王座戦第五局の対局場がこれまた陣屋旅館なのです。
 昭和27年の陣屋事件からすでに60年の歳月が経ちました。その間に陣屋旅館では数多くのタイトル戦を見守ってきました。
 鶴巻温泉は今の住まいから小田急急行で小一時間です。残念ながらロマンスカーは止まりません。歴史的な対局にたまたま同じ沿線に住んでいるのは何かの縁なのかもしれません。

8.その後の陣屋事件
 陣屋事件は将棋界を揺るがす大事件となり、升田さんの処遇を巡って論議が起こりました。当初の将棋連盟の結論は「升田さんの1年間の出場停止、王将位は空位」と厳しいものでしたが、升田派の棋士もファンも黙っていませんでした。
 結局、翌月には木村名人の裁定で「升田さんの連盟復帰」で出場停止は取り消されました。さらに残っていた第七局を平手で行い王将位獲得も認められました。
 陣屋事件の後、その年7月木村名人は大山さんに名人戦で破れ引退します。木村名人は投了の後に「良き後継者を得た」と発言したと伝えられています。
 実質的に木村名人に引導を渡したのは升田さんの王将戦と言っていいでしょう。

9.王将戦差し込み勝負のその後
 しばらくして昭和31年の王将戦で升田さんは時の名人だった大山さんに3連勝でついに半香に追い込み、香落も勝ってしまいました。
 ついに「名人に香を落として勝つ」という升田さんの子供の頃の決意を実現しました。
 その後の王将戦で大山さんが挑戦者の加藤一二三さんや二上達也さんを香落にて勝利していますが、大山さんが名人でした。
 つまり名人に香を落として対局し、しかも勝利するという空前絶後の離れ業は升田さんだけです。
 現在王将戦は香落の制度は廃止になっていますからこの記録は永遠に破られません。それほどまでに「半香差し込み七番勝負」は過酷な制度と思います。
 升田さんは木村名人との香落は「名人位の権威」に思いを走らせ、対局拒否事件を起こすまで思い悩みました。 しかし、大山名人との香落対局ではあっさりと対局しました。やはり、当時の升田さんは大山さんをライバルとは認めていなかったのでしょう。勝って当然の相手という認識だったようです。

10.升田さんの自伝と河口俊彦さんの意見
 名人戦を巡る棋士間の番外争い、将棋界を巡る新聞社の抗争が複雑に絡み合って名人戦移籍や「差し込み七番勝負」の王将戦創設となりました。そういう意味で陣屋事件は単発に起こった事件ではなく将棋界や新聞社の問題点を升田さんが露呈させた事件だったと思います。
 ずっと後に棋士河口俊彦さんは平成2年刊行の「一局の勝負一回の人生」の中で升田さんの行動を「だだをこねた」と表現し、新聞社の問題などは後からの「こじつけ」と言っています。
 ところが、昭和60年刊の朝日文庫升田幸三自伝「名人に香車を引いた男」の中で升田さんは高野山の戦から毎日新聞とのイザコザ、そして陣屋事件までかなり詳細に述べています。つまり、河口さんは升田さんが書いた様々な事情をすべて「こじつけ」と切り捨てたのです。なかなかの勇気ある発言と感じます。(河口さんの著書は升田さんが亡くなる前年に刊行)

11.升田さんの陣屋旅館訪問
 升田さんの自伝によりますと、この陣屋事件の顛末後に升田さんは陣屋旅館をプライベートで訪問、自筆の「強がりが雪に転んでまわり見る」色紙を残しています。
 色紙は陣屋旅館に飾ってあるらしい。(今も飾ってあるかどうか確認してきます)
 升田さんはこの句を「反省の気持ちを込めて・・・」と述懐しています。陣屋旅館は事件後に呼び鈴を付けたとか、従業員を再教育したとか、伝え聞きますが、升田さんの<反省>の言からみますと陣屋旅館は多分にとばっちりを受けたという気がします。
 つまり、升田さんは「対局せずに済ませる理由はないのか・・・」と材料を探し続けて対局場の陣屋まで来てしまったのではないかと思います。

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