スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

▲PAGE TOP

七條兼三氏との幻の出会い

1.風流を貫いた男、七条兼三氏
 古い将棋ファンであれば誰もが七條兼三氏の名前を知っています。秋葉原ラジオ会館を設立、秋葉原界隈のビルオーナーとしてまた西東書房の代表として詰将棋関係の作品集や書道の書物を多数刊行しました。
 囲碁将棋の強さはアマチュアの域を超えていました。囲碁将棋ともに七段。昭和55年の職域団体戦では両部門で主将として出場して優勝という逸話もあります。囲碁・将棋のプロが頻繁にラジオ会館に出入りしていたらしい。
 さらに書、詩吟の腕前も超一流、金貨や浮世絵、初版本のコレクターとしても名前が知れ渡っていました。
 七條氏は古き良き日本文化を大切にし、伝え継いで行かなければならないと思っておられたのではないでしょうか?

2.詰将棋での活躍(解答者として)
 詰将棋の専門誌として月刊「詰将棋パラダイス」があります。同誌にはやさしい詰将棋も掲載されていますが「解けるものなら解いてみろ」というような難解作、盤面全体に駒が散らばっているような大作も多い。
 詰将棋を趣味とし、定期購読をしている熱心な読者でも全問正解にチャレンジしている人はほんの一握りではないかと思われます。
 七條さんはそんな難しい詰将棋を昭和42年から3年間連続で全題正解という偉業を達成されています。
 なお、多くの若手プロ棋士や奨励会員、伸び盛りの女流棋士は詰パラを持ち歩いて棋力アップのために活用しているという噂です。アマチュアが作った問題をプロ棋士が実力アップのために解くという構図は他の芸事には見られないかもしれません。

3.詰将棋での活躍(作家として)
 七條氏はその解答力を存分に生かして今度は詰将棋創作の世界で大活躍が始まります。昭和50年代から60年代の活躍は素晴らしい。当時、不可能と思われる困難極まるテーマに果敢に挑戦して実現してしまう力量に詰将棋界は度肝を抜かれました。
 近代将棋誌では半期毎に優秀作品を塚田正夫氏にちなんで「塚田賞」として表彰していました。七條さんの「塚田賞」の受賞回数は実に13回。まさに当時の詰将棋界を代表する作家でした。七條さんは平成元年12月に亡くなられました。その丁度2年後の平成3年に追悼詰将棋作品集「将棋墨酔」が発行されました。

4.詰将棋界への支援
 「詰将棋パラダイス」を昭和25年創刊したのは名古屋の鶴田諸兄氏でした。今では詰将棋全国大会は毎年の恒例行事となりましたが、当初の開催には紆余曲折があったようです。
 昭和37年に第一回大会が名古屋で開催されました。そして第三回は昭和40年5月に上野の七條邸にて豪華に開催されました。鶴田氏は詰将棋専門誌の火を消さないように一途に情熱を捧げた人でした。その鶴田氏を後方から支えたのが七條氏でありました。
 今日の詰将棋全国大会の隆盛は七條氏の功績によるところが大きい。

5.将棋界の支援
 将棋会館は昭和51年に建て替えられました。その当時の将棋連盟会長は塚田正夫さんでした。大山さんが「将棋会館建設委員長」として寄付金の依頼のために各方面を精力的に駆け回った話は有名です。
 さて七條兼三氏と大山名人のエピソードですが、将棋会館の建設に関して七條氏の支援はかなりの金額……であったと思われます。しかも建設中の仮事務所までも七條氏にお世話になったらしい。ところが、竣工パーティへの招待状が七條氏に届かなかったり、仮事務所の撤去に際して挨拶がなかったなどいろいろと不手際もあったらしい。

6.将棋連盟に怒鳴り込み
 その時の不手際かどうか定かではありませんが、七條氏が激怒して将棋連盟に怒鳴り込んだというエピソードもあるようです。まさか日本刀云々はなかったと思いますが、七條さんだけにまことしやかに聞こえてきます。
 七條氏が升田九段と碁を打っているところに大山建設委員長と塚田連盟会長が謝罪に行ったこともあったらしい。平身低頭、謝罪の言葉を繰り返す両巨頭。ニヤニヤしながら碁盤を見つめる升田九段。「ワシャ、知らんでえ~」
 そこで七條氏は自慢の自作の七手詰を詰将棋の名手の塚田さんに見せて「これが解けたら許そうかのう・・・」と。さすがの塚田さん。解けたのにすぐに「解けました」とも言えず、考え込んでしまう演技を続けることに。

7.秋葉原ラジオ会館の建て直し
 さてこの夏、秋葉原ラジオ会館は老朽化のために立て替えられることになりました。そんな二ュースが流れる中、学生時代の旧友M氏が「秋葉原ラジオ会館の七條惇さんを知ってる」と。な、な、なんとそれは七條さんの息子さんに違いないと直感した私はM氏に、この「解けてうれしい詰将棋」を手渡して私が七條兼三氏の崇拝者であることを伝えて欲しいとお願いしました。

8.七條惇氏からの驚きのプレゼント
 M氏と七條惇氏はアメリカンフットボールの取り持つ縁で大いに親交があるらしい。実は私とM氏も学生時代にアメリカンフットボールをしていた仲間なのです。
 しばらくしてM氏は七條惇氏から私に大変なプレゼントを授かってきました。それは七條兼三さんが昭和63年、「近代将棋」に発表した詰将棋で第71期塚田賞を受賞。記念品として贈呈された図面入りの置時計でした。
 その詰将棋は盤面の39枚の駒が解答が進むにつれて消えて行き、4枚の桂馬だけで詰め上がるという構想作品です。

9.ラジオ会館の対局室
 今回建替ることになってしまいましたが、ラジオ会館の社長室のフロアにはタイトル戦が開催できるような立派な対局室と庭園があったとのこと。M氏が感動を伝えてくれました。


10.憧れの人
 憧れの人、七條兼三氏は風流を極め、人を大切にし、そして日本の行く末を案じておられた方と思います。最も身近な七條惇さんから直にお話を伺うことができたら……と楽しみにしています。

▲PAGE TOP

«  | Home |  »


まとめ

Contents

  随 想
  詰々草
  風流旅日記

Admin

検索フォーム

アーカイブ

 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。