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羽生さん永世七冠は挑戦

 竜王戦挑戦者決定戦にて羽生さんが久保さんを2連勝で破って挑戦者に決定しました。いよいよ10月14日羽生さんの永世七冠達成という大記録への挑戦が始まります。2年前の竜王戦の七番勝負では羽生さんが渡辺竜王に3連勝し、しかも第四局を渡辺さんを投了寸前まで追い込みながら、まさかの4連敗を喫して大逆転により永世七冠を逃しました。
 思い起こせば1995年。六大タイトルを独占していた羽生さんは残るタイトルの王将戦挑戦者として谷川王将に挑戦していました。ところが阪神大震災が起こり、谷川さんは被災します。神戸から大阪の対局場所に行くにも大変な状況に羽生さんの七冠達成を待ち望んでいた空気が一変して谷川さんを応援する雰囲気に包まれました。その雰囲気に乗って谷川王将はタイトル防衛に成功しました。その後の一年の羽生さんの勢いは凄い。臥薪嘗胆、六大タイトルすべてを防衛してしかも再び王将戦挑戦者になりました。そしてあの羽生さんの七冠フィーバーになったのです。
 今回もあの時とそっくりな雰囲気を感じます。もうすぐ40才の羽生さんは円熟の境地にあるとは言え、並み居る若手強豪を勝ち抜いて挑戦者に名乗り出ることは容易なことではありません。体力との関係からしても今回は永世七冠への最大のチャンスでしょう。
なお、羽生さんは8/26棋王戦の挑戦者決定トーナメントでは森七段門下の新鋭糸谷五段に破れました。

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世界的な不景気の影響

 近代将棋の休刊は世界的不景気の影響とは別かもしれませんが、昨年末から週刊誌や月刊誌の休刊が相次ぎ、将棋の女流王将戦、囲碁の女流最強戦が廃止となりました。
 有名企業が抱えるスポーツクラブの廃部も寂しい限りです。企業の側からすれば背に腹は変えられないということと思いますが、規模の縮小とか贅肉を落とした形で何とか続けるのが本来と思います。「儲かっていた時の気まぐれ?節税対策?」と問いただし たくなります。安易な対応は文化水準の低さを感じさせるものです。

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①終戦を考える

 昨夜(8/15)NHKドラマ「15歳の志願兵」を見ました。原作は私が高校時代に化学を教えてもらった江藤千秋先生の「積乱雲の彼方に」でした。先生はご自分の体験(当時先生は愛知一中生)から書かれたと推察します。名古屋弁がリアル感を漂わせたドラマでした。
 今年の夏はとりわけメディアが終戦関係のテーマを取り上げています。その背景には沖縄基地問題や核軍備問題などがあります。しかし一番の要因は日本の戦争を体験してきた方々が高齢化し、戦争体験を伝えていかなければならないという気運が強くなってきたことと思います。つまり、高齢者が最近になって思い出したくなかったつらい体験を語り始めたことが最大の要因と思います。昨夜のドラマの中で描かれていたのは戦争の悲惨さ、二度と起こしてはならないという思い。15歳の少年だった母校の先輩達の決断、戦地に送り出す先生達の苦悩、父兄の本音。戦時体制に批判をぶつける文学少年。
 国家戦時下のやむをえない状況であったと片付けられてしまいそうですが簡単に大勢に流されて右往左往する教師の姿もありました。ドラマの終盤、戦後の場面で戦中には敵国スポーツとしていた野球に先生が生徒と興じる場面がありました。その変貌は体制に従った教師への痛烈な批判のように感じました。

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②戦後教育について

 このお盆の時期に小学校の同窓会がありました。当時、まだ教師によるの体罰は学校に残っていました。戦後教育は軍国主義的なものを排除する意味もあって体罰をなくす方向であったと思います。しかし我々世代の小学生、中学生時代(昭和30~40年代)にはしっかりと残っていました。当時の教師は自分達が体罰を伴った教育を受けてきたということもあったかもしれません。
 同窓会には恩師2人の先生が出席されました。I先生は体罰を否定されました。当時より生徒に手を上げることは全くありませんでした。「真剣に叱れば体罰なしで通じる」とおっしゃっていました。
 もう一人のN先生は当時、新任教師ということもあったのでしょうがとにかく事ある毎に暴力に近い体罰を振るっていました。今回その先生は「今だったら、マスコミ大騒ぎですね!」とか「叱るべき時に叱ったこともあったけど虫の居所が悪くて…という叱り方も多かった」とからかわれていました。
 不思議にその体罰によって怪我をしたとか親が怒ったなどという話は全くありませんでした。そしてそのN先生は一番人気でありました。
 昨今の学校の教育問題はこうした体罰をすべて否定してしまっていること。親が自分の子供の躾けが出来ていないことを棚に上げて体罰的なものに過剰反応してきたことに問題があるのではないかと思います。

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③Y先生の体罰

 中学校の時は教師の体罰は当たり前でした。そんな中でY先生はどちらかと言えば大人しいタイプで体罰しないという先生でした。ある時、不良生徒2名に真剣に怒ったことがありました。Y先生はクラス生徒全員に状況を説明、「これから2人を殴ります」と宣言して鼓膜が破れないように両耳を手で被わせて足を踏ん張らせた上で全力で往復ビンタを実行しました。Y先生の体罰はその時だけでした。

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④ラグビー部の思い出

 高校時代にラグビーをしていましたが上級生によるシゴキがありました。個人的な陰湿なイジメとか殴ったり蹴ったりというものはありませんでした。上級生が下級生の学年全体を制裁するという形で練習が終わったその直後に疲れている状況でさらにタップリ走らせるわけです。当時は<練習が終わるまで一滴の水も飲ませない>ということが運動理論として正しいことのように伝わっている時代でした。先輩の言葉を今でも覚えています。「俺たちも<暴力>みたいなことはやりたくないが。あまりにたるんどる!」あえて<暴力>という言葉を使っているところが印象的でした。
 もう一つ、先輩OBチームVS後輩現役チームで試合形式の練習。後輩チームのこの時の盛り上がりは異様です。いつも制裁を受けているからその仕返しを……という意味ではありません。負ければ無条件に走らされるわけです。先輩OBは後輩チームを強くしたい(シゴキたい?)という思いでワザワザ足を運んでいるのですから走らせたくて仕方がない。つまり後輩チームは練習試合で負けることは先輩に<シゴキ招待券>を進呈してしまうことと同じ意味なのです。

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⑤「黒から後、アゲイン!」

夏合宿。それはそれは恐ろしい思い出です。連日の炎天下の練習そして忌まわしい練習後の恒例のシゴキが待っていました。
 十分走らされた後、あとラスト1本と声がかかりました。これで終わりと最後の力を振り絞って走り切った後、「黒から後アゲン」つまり黒シャツおよびその後のメンバーはもう一本という意味です。すると前を走り切った人が「付き合ったろみゃあ~」これ以外の言葉ではなかった。間違いなく名古屋弁。これで開放されると思って最後の力をふり絞って走った。もう極限状態で走れない。勘弁してくれ~。この人は立派。凄い。全員が励まされた。この夏合宿で30名の部員の数は半減しました。しかし、生き残ったメンバーはチームとして団結しました。

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⑥戦友外川くんの死

 高校時代ラグビー部で一緒にシゴキに耐えた外川一弘君が14日朝、病没しました。食道がんでした。戦友を無くした思いです。「黒かろ後アゲン」を一緒に走った。あの時があったからその後の人生を生きていけると自信がついた。その思いは外川くんも同じだったと思います。名フルバック15安らかに。

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