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30年ぶりの横浜

 学生時代を過ごした横浜。今回30年ぶりに懐かしい大学のキャンパス、下宿先、アルバイト先をウロウロと徘徊しました。今まで会議や研修の際には横浜駅や新横浜を乗降することは何度かありましたが横浜市内はまさに30数年ぶりでした。特に横浜駅近辺は著しく変貌していて不思議に懐かしいという感傷はありませんでした。

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三沢公園の思い出

 受験ための浪人生活を終えて賄付の下宿に入居しました。その下宿は開業したばかりで約20名もの新入生が4月からの授業開始を待っているという時期がありました。下宿生十数名が近くの三沢公園までバットとボールを持って草野球に行きました。
 どんな経緯であったか定かではないのですが床屋のお兄さん達と草野球の試合をすることになりました。はっきりと覚えているのは我チームは過酷な受験戦争を終えたばかりで<周囲に負けるものか>という精神を根強く持っていました。ところが床屋のお兄さん達は<勝負に関係なくお互い楽しくやろう>という大らかな気持ちでした。私はこの時の遊びの中で自分が受験戦争で何か大切なものを見失っていたと大きな刺激を受けました。

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下宿の思い出(その1)

 最初の下宿には約2年住みました。毎晩のように誰かの部屋に集まって酒盛りでした。全国各地から集まった若者達。酒が入ればいつのまにか酒盛りから宴席になりお国自慢の唄合戦となるというパターンが恒例でした。ご近所から苦情が何度か大家さんに入っていたようです。そして当時18才とか19才ばかりだったはず、今なら警察に通報されて退学処分でしょうか。寛大だったご近所の皆さん、大家さん誠に申し訳けありませんでした。
 この下宿に30年ぶりに行きましたら大家さんの表札の苗字が同じで代替わりしていました。そして下宿は一般向けのアパートに変わっていました。
 私の部屋は道路を挟んではいるものの新幹線に一番近く、当初は騒音と振動でなかなか眠れませんでした。初めて来た人は震度3の地震と勘違いされました。今回、この近くで立ち止まって新幹線の通過を実感しましたら震度1程度に小さくなっていました。新幹線も30年で静かに走るように進化したのだと思います。

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初めてのアルバイト

 学生生活が始まると即刻アルバイトでした。生まれて初めての仕事は新聞社の下請けのアンケート調査。時間に縛られず高収入になる反面、対象者が決められているのでご機嫌を損ねて拒否されますと収入が0という可能性もあります。何とか断られないようにと必死でした。生まれて初めて自分で稼いだお金で一人で天丼を食べました。単なる時間労働ではなかったからかもしれません。「自分の力で生きていくんだ」と自覚しました。

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下宿の思い出(その2)

 学生生活3年目。せっかく親元を離れたのですから本当の一人暮らしに憧れていました。そこで下宿を変わって自炊をすることにしました。<一人暮らしをしていると何かいいことが・・・>という淡い期待もありました。私の自炊はこの時と秋田の2年です。
 そのアパートにも行ってきました。木造の古いアパートはやはり建て直しされていました。大家さんも代替わり。ここはバス停のすぐ近くでバス路線は岡の上を走るコースです。双方向のバス路線ですと道幅が狭くてすれ違いできないために横浜駅からの一方向の循環バスになっていました。これは今でも同じでした。横浜はこの30年間で急激に発展して東京に次ぐ大都市に発展しました。しかし横浜駅から15分そこそこの町中で30年前と同じ交通事情というのもこれまた不思議でした。

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中華街、山下公園、港の見える丘公園、外人墓地

 天気のいい日には家族連れが多く、夜はロマンチックな港の夜景はカップルにとって関東有数の絶好のデートコースと思います。今回は一通り思い出を確認しながら一周しました。
 苦学生だった私には世知辛い思い出ばかりで甘くせつない思い出があるわけではありません。
 <アルバイトこそ社会勉強>という信念で勉強しないでアルバイトに明け暮れていました。前述のアンケート調査を筆頭に山下公園の駐車場係り、家庭教師に塾教師。そして<稼いだお金で専門書を買って・・・>であれば格好がつくのですが、実際は伊勢崎町とか黄金町とか日の出町とか新たな社会勉強?に投入していたのでした。<いけない先生ね!>なんて叱られながら・・・・。あああせっかくの横浜の思い出がこれでは情けない。真面目に勉強していると信じていた親に顔向けできません。

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横浜市営地下鉄

 横浜市営地下鉄は30年前はありませんでした。そして今回が初めての乗車でした。驚いたのは全席<優先席>だったことです。関西でも名古屋でも今まで見たことがありません。
 お年寄りや障害を持つ人に席を譲るということは<優先席だから譲る>とか<優先席ではないから譲らなくていい>という問題ではないと思います。誰の発案かわかりませんがもっと広まっていいのではないかと思います。ただし、究極は<優先席のない>世界でしょう。

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JR横浜線

 JR横浜線でラッシュアワー時間帯は座席が使用できない車両に初めて遭遇しました。おそらく関東では珍しくないのでしょう。
 乗った時間は昼間でしたが、朝の時間は通勤サラリーマンが一杯で車両全体が貨物列車状態で運転されるのかと想像しますと人間を貨物扱いしているような気がしました。

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