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NHK大河ドラマ天地人

 土日も何かと忙しい日々が続いていますが大河ドラマ天地人は続けて見ています。兼続と秀吉や三成との駆け引き、家康と正信もいい味が出ています。ただし、出てくる美人女優(本当に実在したの?)がことごとく兼続にゾッコンというのは合点が行きませんなあ。

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踏み切りと自動車保険

 最近、若いドライバーが一旦停止せずに踏み切り通過をしていく実態を頻繁に目の当たりにしました。最近の自動車学校ではあまり一旦停止を教えないのでしょうか?それとも交通ルールが変更になったのでしょうか?私の記憶では窓を開けて耳でも確認しろと習いました。
 いずれにしても私は踏み切りで警報機頼みで通過していく人生観には賛同できません。自分の命を警報機に任せてしまう姿勢が全く理解できないのです。警報機の故障という可能性を全く考えていないのでしょうか。
 また任意保険に加入しないでハンドルを握る若者も多くなっているらしい。格差社会の進行で若い世代の収入とも関係があるのかもしれません。
とにかく<安全運転の覚悟>+<任意保険>であるべきでしょう。

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安次嶺隆幸さん

 「こどもが激変する将棋メソッド」(安次嶺隆幸著、明治図書出版刊)を読みました。安次嶺さんは元奨励会員でプロ棋士を目指していました。現在は東京の暁星小学校の教諭とし教壇に立ち、将棋を通して子供たちの指導をしています。また、子供の教育アドバイザーとして全国で講演活動もしています。
 プロ棋士になれなかった安次嶺さんですが、教育のプロとして立派に活躍されています。将棋を通じて子供たちに「礼に始まり礼に終わる」精神を教えるのだという。始まりのお願いしますの礼。負けを認める「負けました」の礼。駒箱に駒をしまって「ありがとうございました」。特に「負けました」の礼が今の教育には大切であると。潔く負けを宣言してそこからもう一度立ち上がる気力と勇気を子供たちに身に付けさせたいと述べています。
 将棋会館でのプロの対局を実際に子供たちに観戦させる話がでてきます。子供たちには将棋の指し手の意味は理解できなくても真剣に読みふけるプロの<気>を感じるという。<本物>に直に触れることの大切さでしょうか。テレビ対局では感じ取ることのできない<気>なのでしょう。そして自分が指した後の相手の考慮している間の「待つ行為」が集中力の土台となるといいます。そういえばテレビゲームなどでは自分が継続的にプレーするばかりで<待つ>という行為はないように思います。
 さて自分の子供の頃を思い出しました。礼儀知らず同志の醜い勝負。負けて悔しい思い。
 ああ、この頃にこんな先生に出会っていたら・・・・と。もちろん将棋が強くなっていただろうにという意味ではなく、少しは人間として成長していただろうにという意味です。
 単に将棋が強くなることよりももっともっと大切なことがあると教えてくれた本でした。

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瀬川さんのC2組

 瀬川さんがフリークラスの好成績により念願のC級2組に昇級しました。奨励会時代に年齢制限でプロになれなかった瀬川さんがアマチュアからプロ棋士になるという夢を実現したのが4年前。今回晴れて順位戦を戦うリーグ戦に参入しました。
 瀬川さんの活躍は安次嶺さんの話にも通じることですが<成功とは何か、挫折とは何か><成功は人それぞれ><挫折にめげず立ち上がる素晴らしさ>を我々に教えてくれます。瀬川さんの活躍は本当に素晴らしいと思います。

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長年の習慣をやめること

 最近、<新聞><週刊誌><本>などを買うことをやめることにしました。会社の帰りに駅の売店でその日のニュースが気になって夕刊紙を買ったり、詰将棋の掲載のあるスポーツ新聞を買ったり、(特にドラゴンズの勝った翌日の中日スポーツ)と言う悪癖?が身についていましたがサッパリとやめる決意です。衝動的に買ってしまう新刊本もついでにやめます。
 しかし、活字から距離を置くという意味ではありません。詰将棋から身を引くわけでもありません。詰将棋や必死は古い将棋世界の付録を持ち歩いています。本は図書館で借りることにしようと考えています。
 理由<1>通勤時間が往復で3時間以上、その日の夕刊紙を読んでいる内
       に通勤時間が過ぎてしまう。せっかくの読書時間を確保したい。
 理由<2>頻繁に書店に立ち寄る習性がついてその時間が無駄。
 理由<3>家族と一緒の生活となってTVで繰り返し同じニュースを見る機会
       も多く、さらに新聞というのも無駄かな。
 理由<4>マスコミに毒されている自分を感じた。
一旦ついた習慣はなかなか断ち切ることは難しいと思いますが、20数年前に思い切ってタバコをやめることができた時に自分が成長したような錯覚を覚えました。何かやめることで得るものもあると確信しています。

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核武装論議

 テレビで青山繁晴氏が北朝鮮問題についての話の時、「日本の核武装には反対だが日本は核武装論議をすべき」と話していました。同氏がなぜ日本の核武装に反対かと言うと「核は一般市民を大量殺害するものであり、戦争の武器として武士道に反する」そして「日本国内にて日本は核武装すべきかという議論を戦わすことが北朝鮮に対する抑止力となりうる」と発言しています。
 過去の世界中の戦争を顧みますともともと一般市民が戦争に巻き込まれることはあっても軍人同士の戦いが基本であって一般市民を殺害するという戦略は広島長崎の原爆投下までなかったのではないかと思います。
 そしてアメリカは第2次世界大戦後も1945年から最近のイラク戦争まで主にアジアや中近東諸国に爆撃して一般市民数百万の命を奪っています。まさに許されない戦略と思います。
 我々世代は「原爆は戦争を早く終わらせるためだった」と教えられました。何十万も罪もない一般市民を殺戮しておいてそれは全くの詭弁でしょう!
 本来、戦争は軍人同士が戦うものと思います。日本の武士の戦いは源平の時代から(農民兵が多かったとしても)基本的には武士同士が戦ったと思います。秀吉の朝鮮出兵も、日清日露も。しかしその後のアジア進出が侵略なのかどうか、一般市民に対しても殺戮をしたのかどうか。日本の軍隊の戦略は<神風特攻隊>も<人間魚雷>も敵国の軍事基地を攻撃するものであり、一般市民を殺害する戦略はなかったと思います。もちろん全く市民に危害を加えていなかったということではなく極限状態の下ですから不心得な軍人もいたかもしれない。
 しかし国の軍隊の戦略としてはどうだったのか?真実を知りたい。
 戦争反対!やるなら軍人同士でやってくれ!と世界に呼びかけたい。

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