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米沢一人旅の記

1.なぜ米沢か?
 米沢は歴史ファンにとって魅力的な町です。特に今年は直江兼続を主人公として描いたNHK大河ドラマの影響でさらに観光客が増えています。
 今回の旅は兼続ももちろんネライでしたがその周辺人物にも迫ってみたいという思いを込めて出発しました。前田慶次、本多政重など。友は友を呼ぶというのでしょうか兼続周辺には魅力溢れる人物がいたようです。
 そしてもう1点、いつぞや秘湯での温泉談義をしていた時、ある温泉マニアと思われる方が山形県のおすすめは<白布温泉>と言っていたことが印象に残っておりました。

2.米沢の位置
 米沢は山形県の最南。秋田と山形は隣の県ではありますが、距離的には東京と名古屋の距離。その間を在来線のローカル列車を3本乗り継ぐという行程です。在来線には特急がなく新庄から米沢は山形新幹線がありますが時間短縮効果は20分程度ですので使いませんでした。
 乗り継ぎの悪さも格別です。山形駅で1時間半。その時間を利用して山形城近くの最上義光歴史館を訪れました。奥羽の関ヶ原と言われる義光と兼続との長谷堂城での攻防戦。
 そして愛娘の悲劇。秀吉の時代に関白秀次に嫁いだ駒姫。15才で秀次の失脚時に三条河原にて処刑されてしまいます。関ヶ原の戦いにて最上家が東軍となった遠因と言われています。

3.白布温泉
 米沢からバスで40分。寒波の中、雪深い白布温泉にやってきました。開湯700年。木造萱葺きの3軒の宿が名物でしたが、2000年の火災で2件が焼失してしまい今は西屋だけになってしまったようです。この建物は築200年です。
 東京からの便利の良さを考慮しますと秘湯として大変にお得?秋田からの方が不便です。
 近くにはスキー場もロープーウエイもあります。春や秋の猪苗代湖方面に抜けるドライブは絶景らしい。
 さて白布温泉には兼続が江戸幕府に内緒に鉄砲を製造をしたと言われる遺跡がありました。雪に埋まっていて何が何だかわかりませんでしたが。関ヶ原では西軍と見なされて会津120万石から米沢30万石に減封された上杉家。江戸幕府に見つかったら改易でしょう。
 しかし、兼続は家康の側近本多正信との折衝に抜群の働きをします。そして正信の次男本多政重を兼続の婿として米沢に迎えます。想像ですが内緒であってもバレた場合の対策も考えてのことではないかと思います。上杉家鉄砲隊は大阪冬の陣夏の陣にて大活躍して外様大名ながら幕府の覚えも抜群でした。

4.上杉神社
 上杉神社の稽照殿には兼続が戦場にも持参したといわれる<直江韻書>なるものの展示がありました。韻書とは辞書のようなもので漢詩を詠むためのものらしい。いくら兼続が文武の人と言えど重そうな<直江韻書>を戦場に持ち込んだとは信じ難い。死と隣り合わせの戦国の世を文武両道に生きた兼続。書物の収集も熱心でした。豊富な読書で歴史から多くのことを学んだと思われます。その姿勢は自分の欲得ではなく米沢の民のことであり、米沢の将来、そして日本の将来であったに違いない。

5.山形大学工学部
 山形大学工学部の明治43年の建物は私好みのレトロの雰囲気でした。キャンパス内にあるので学生の皆さんの勉学の邪魔をしては申し訳けないので外から眺めるつもりでした。
 ところが意外にも守衛室にて<建物の中も見学どうぞ!>そして<絵葉書はいくらですか?>と尋ねますと<無料で差し上げます>と。
 雪も上がって陽も射してきました。キャンパス内は静寂そのものでした。学生さんの行き来などすべての音という音が雪に吸い込まれていくように感じました。四方の雪山も美しい。
 この建物は教学には使用されておらず、大きな校舎全体が博物館です。山形大学工学部の前身の旧米沢高等工業高校の卒業生の活躍の歴史を展示しています。主に繊維産業に関する産業振興についての展示が多い。意外にも思想家吉本隆明氏は同校卒で<理系>なのでした。
 <兼続>→<鷹山>→<近代産業振興>の流れが米沢という地に脈々と息づいていると感じました。

6.林泉寺
 上杉家菩提寺の林泉寺。曹洞宗の禅刹です。普通のお寺は<勝手に見学して>とほったらかしが多いのですが、ここではしっかりとわかりやすい説明をして頂きました。
 もともと長尾家の菩提寺であったのが謙信が上杉家を受け継いだ後は上杉家の菩提寺になりました。上杉家が越後→会津→米沢と転封の度に越後から会津を経て米沢に移転したという話でした。もっとも会津時代は3年と短かったのでお寺を建立する間もなく引越ししたらしい。戦国時代の転居は引越しセンターもなくて難儀なことだったと思います。
 林泉寺には兼続夫妻の墓があります。夫婦の墓の大きさが同じというのは珍しいらしい。正室お船の方は兼続の死後も藩の政治にも影響力があったらしい。そして81才まで長生きしました。夫妻にとって子供を早く亡くしてしまったのは寂しい。

7.米沢の町
 米沢の町のいたる所に<天地人>のポスターが張ってあり、幟(のぼり)が風になびいています。ドラマでは米沢の登場はまだまだ先のようですが、米沢といえば鷹山というイメージが今年は兼続なのかもしれません。
 鷹山は35才で家督を譲ったらしい。養子であったがための深謀な配慮でしょうか。それでも後ろ盾として活躍を続け72才で死去しました。
 ある場所に米沢ゆかりの4偉人として<鷹山><兼続><政宗><謙信>とありました。伊達政宗は仙台のイメージが強いのですが米沢に生まれたらしい。謙信は越後で死去しているので米沢との直接の関係はありません。
 不景気の時代<鷹山>も<兼続>もますます脚光を浴びつつあります。謙信は新潟にそして政宗は仙台に任せて米沢は兼続と鷹山で十分でしょう。4人は欲張りと言われかねませんよね。
 上杉博物館で開催中の天地人博2009は来年1月までのロングラン。気合十分です。米沢市内の神社仏閣は立て看板の説明が丁寧でわかりやすい。米沢は歴史ファンに親切な歴史の町でした。

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<働く>とは何か

 昨年秋からの世界的大不況は100年に一度の危機と言われていますが<派遣切り><内定取消><企業倒産>等のニュースが連日報道されています。
 昨年末、麻生総理がハローワークにて職業相談の時に「自分が何をやりたいのかをはっきりさせなくては!」というアドバイスを仕事を探している人にしていました。麻生総理のアドバイスは正に正論ではありますが、仕事を探している人の立場にしてみれば<今はそんな贅沢言ってられないんだよ~>という心境ではなかったでしょうか?
 今回の不景気を契機にして<派遣>についてはそのありかたについて大きな社会問題になっています。<企業側の非人間的な取り扱いに対する批判><派遣切りされた人々への世間の暖かい支援>など。
 制度ができた当初は「派遣社員は通常のサラリーマンの窮屈な部分を除外して気ままに生きていける。」というメリットを享受して自ら望んで派遣に甘んじている人もいたと思います。そういう意味では今回の不景気による派遣の人達の災難は自業自得の面もあるという見方もあるかもしれません。
 さて<働く>とは何か、<職業>とは何かという視点で派遣の人達の職業観を考えて見ますと単純に<生きるための手段>になってしまってはいないでしょうか。

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好きなことを職業に

 長い間日本終身雇用に慣れ親しんできたこともあり、もともとサラリーマン自体に<仕事とは生きるための手段>という考え方が定着していると思います。
 自分に合っている会社かどうか、自分に合っている仕事かどうかではなく、ただただ我慢の人生。もしくは<自分の仕事に惚れろ>と。
 本来、人間は好きなことを仕事にすべきと思います。「生きていくために我慢する。」ではなくて「好きなことをすること」が結果として「世の中の役に立ち」またその結果として「収入になる」のが理想の姿でしょう。
 好きなことを職業にしている人の人数ウエイトはどのくらいでしょうか。独断推測ですが、サラリーマンの10%、自営業の、30%、自由業の50%ぐらいでしょうか。
 非正規社員の増加に伴い、ますます好きなことを職業にしている人々の人数ウエイトが下がっているように思います。

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なぜ好きなことを職業にできないのか?

 収入の多寡に関係なく生き生きと働いている人達の姿は素晴らしいと思います。生き生きと働いている人達は収入のためだけで働いているのではなくその仕事に生きがいを感じているとか世の中の役に立っている実感を感じているとかこの仕事は自分に合っているという充実感があるからだと思います。
 プロスポーツ選手も芸能タレントもおそらく自分の好きな道を追及した結果として花が咲いているように思います。こうした仕事は高収入が約束されているわけではなく結果として高収入になるものです。例えば優勝したとか唄がヒットしたとか。
 さて多くの人達が<なぜ好きなことを職業にできないのか>、世の中が労働とは<我慢すること>と定義付けていることが大きいのではないでしょうか。そしてもう1点は<収入の安定>を期待するからかもしれません。

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個性を発揮させる教育

 <好きなことを職業に>は、必ず<世の中そんなに甘くない>という痛烈な反論に出会います。受験戦争は、子供の個性を伸ばすのではなく個性をなくす方向にあるのではないかという意見もあります。かつて、日本の教育はトップ水準にあったのが最近では先進国の中でも低迷傾向らしい。<ゆとり教育>に問題があったのではないかとも言われています。
 思うに、個性の発揮も受験勉強も大切であり、そして子供の頃から職業観について考えさせることが最も大切と思います。その上で、好きなことをどんどんやらせて能力を伸ばすような指導も必要でしょう。つまり、武士の子供が否応なしに文武両道を学ばされたように、現代の子供にも否応なしに受験勉強もスポーツもさせたらいいと思います。
 受験が最終目的みたいな教育指導はまずい。また、受験勉強なんてしなくていいという甘やかした教育も良くないのではないか。最低限の勉強とともに、<好きなことをとことんやれ。必ず生きていける!>でどうでしょうか?

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